「中国語の部屋」とは?AIの心を考える思考実験【わかりやすく解説】
「中国語の部屋」は、1980年に哲学者ジョン・サールが提唱した思考実験です。
「質問に正しく応対できていたとしても、質問の内容を理解しているとは限らない」ということを示す思考実験で、人間や人工知能の「意識」についての問題を考える際に用いられます。
記事の目次
「中国語の部屋」とは?どんな内容?
「中国語の部屋」は「マニュアルに則った行動ができただけで、知能を有していると言えるのかどうか」という、知能や意識について考える思考実験です。
思考実験「中国語の部屋」
ある部屋の中に、英語しか話せない英国人を閉じ込めます。
部屋には小さな穴が空いており、この穴から中国語の文章が書かれた手紙が入れられます。
この英国人は中国語を全く知らないので、何が書いてあるのか、なんと返せばいいのかわかりません。
しかし部屋の中には中国語の解説本があり、本の説明の通りに記号を並べれば、返事が成立するようになっています。
部屋の中の英国人は解説本に従って返信し、「中国語での手紙のやり取り」を行いました。
つまり、ただ本の通りに書くだけで、中国語を理解していなくても、中国語の受け応えが可能になったのです。
部屋の中からの返信を受け取った人は「この部屋の中の人は中国語を理解している」と考えるでしょう。
しかし、この英国人は本の解説の通りに手紙を書いただけで、中国語の文字や文法に関する知識はありません。
この場合、この英国人は中国語を理解していると言えるのでしょうか?
心は機械で再現可能?
中国語の部屋は、AI(人工知能)や、人間の知識について論ずる際に使用されることが多い思考実験です。
例えば、将来的にロボットが人間のようにスムーズな会話ができるようになったら、私たちはそれを単なる「会話機能」だと思うでしょうか?
本当に人間と会話しているような気持になり、ロボットに心があるように思えるのではないでしょうか。
しかし、ロボットはあくまでプログラムに従って学習し、会話しているだけ。
「心のこもった会話」というプログラムが機能しているだけで、心をロボットが実感しているわけではありません。
こういった、心の機能と感覚に関する問題を考えるために提唱されたのが、「中国語の部屋」です。
中国語の部屋の結論は?
この思考実験を考えたサール自身は、この思考実験において中国語の受け答えができることと知能として中国語を理解している意識は無関係だと考えました。
そして「この英国人は中国語を理解していない」という結論を出しています。
この思考実験において、中国語の受け答えというは、中国語の理解という意識が感覚がなくても可能であり、機能と意識が感覚は別物だということです。
中国語の部屋の目的:機能主義への反論
中国語の部屋は、機能主義への反論のために提唱されました。
機能主義とは、簡単に言えば、意識的な体験や感覚的な体験は、機能や計算によって再現可能とする立場です。
例えば、誰かの「恥ずかしかった」という感覚を得た時の脳の動きを完全に再現すれば、他人や動物、ロボットにもまったく同じ「恥ずかしかった」を体験を与えることができる、ということです。
この思考実験を、機能主義に当てはめて考えてみましょう。
解説本という「機能」によって「中国語の受け応え」はできていますが、当の英国人には「中国語を理解している」という「意識や感覚」が全くありません。
いくら機能が正しく、問題がなくても、理解しているという実感はないのです。
つまり、「中国語の理解」という感覚や意識は、「中国語の受け答え」という機能に全く影響していないのです。
このことから、意識体験は機能に伴わないため、機能主義は間違っているとサールは主張したかったのです。
中国語の部屋をコンピューターで考える
ジョン・サールは、この思考実験で、「人間の意識と知能は別物」とし、いかに精度が上がってもコンピューターに心を持たせることは不可能だ、と結論づけました。
もともとこの思考実験は、サールの『脳・心・プログラム』(Minds, brains, and programs)というコンピューターと人間の脳についての論文で使用されたものです。
それでは、「中国語の部屋」の実験をコンピューターの機能にあてはめ、「コンピュータは心を理解できるのか」という問題に置き換えてみましょう。
- 英国人のいる部屋全体=コンピューター
- 解説本の通りに作業を行う英国人=プログラムに従って動くCPU(コンピューターの知能)
- 中国語の解説本=心を詳細に解析したプログラム
部屋の中で、英国人は解説本に従って対応することで、外の人間に「部屋の中にいる人は中国語を理解している」と思わせます。
しかし、実際には中国語を理解しているわけではなく、解説本の指示通り機械的に作業していたにすぎません。
同じように、「心を解析したプログラム」を読み込んだコンピューターは、まるで心があるかのように応対することができます。
しかし、そのコンピューターはあくまでプログラムの通りに応対しているだけで、心を理解しているわけではありません。
強いAI・弱いAI
ジョン・サールは、この思考実験を『脳・心・プログラム』(Minds, brains, and programs)という論文の中で使用しました。
- J. Searle, 1980, “Minds, Brains and Programs”, The Behavioral and Brain Sciences,
- 参考文献
サールは論文の中で、強いAI・弱いAIという言葉を使用します。
強いAIは、人間の脳と同じくらい高い認知能力や処理能力を持ったAIのこと。
弱いAIは、計算や決められた会話などの簡単な作業に特化したAIのこと。
サールは、「強いAIは人間と同じよう心を持つ」という論に対して、中国語を理解していない英国人のように、どれだけ人間らしい応対をする強いAIでも、「心を持っている」とは言えないと反論しました。
反論の思考実験「チューリング・テスト」
中国語の部屋は「チューリング・テスト」と比較して考えられることも多い思考実験です。
「チューリング・テスト」は、同じ質問に対して人間とAIがそれぞれ答え、どちらがAIか見分けるテストです。
限りなく人間に近い知能を持つAIが、人間と同じ見た目でいたら、人間と違うと気が付けるでしょうか?
こうした観点から、AIの可能性を探っていくのが「チューリングテスト」の目的です。
チューリング・テストに関しては以下の記事で解説していますので、詳しく知りたい方はぜひご覧ください。
「チューリングテスト」の視点から「中国語の部屋」を考えると「他人と中国語でやり取りができているので、中国語を理解している」となります。
解説本によってやり取りが出来るのであれば「部屋の中の英国人が中国語を知らないこと」は全く問題なく、中国語を理解していることと何ら変わりはない、ということです。
さらに、この英国人が解説本を暗記してしまえば、いくら中国語の文法が全く分かっていなくても、中国語がわからないと証明することはできません。
このように、AIの知能とその可能性をめぐって、様々な意見が出ています。
近い未来、人間と同じ精神を持つAIはできるかどうか、今も議論が重ねられています。
人間の知能との関係
「中国語の部屋」や「チューリング・テスト」のように、AIが人間に近づけるかどうかを問う問題は、突き詰めていくと「人間の知能」の問題につながります。
そもそも人間の「知能」というもの自体が、未だに解明できない曖昧なものです。
私たちが「心」と呼ぶものも脳の機能によって発生する現象で、解説本通りに作業していることと変わりないのかもしれません。
もっと身近な例でいえば、メールのやり取りをしていて、相手が正しくメールの内容を認識しているかどうかはわからないですよね。
自分の認識している事柄も、相手が同じように認識しているかどうかは調べる方法がないのです。
まとめ
最近では、AIによって人間の仕事がなくなっていくとも言われています。
技術の進化により強いAIが開発されていけば、AIも人間と同じように生活していく未来が来る、という人もいるでしょう。
反対に、「中国語の部屋」でサールが言ったように、どれだけ優秀でも所詮は「そうプログラムされただけ」であり、人間のような感受性を持つ強いAIは実現できないのかもしれません。
この問題を考えていくと、
- 人間の脳を再現したAIならどうなのか
- 発達しすぎたAIは人間にどのような影響を与えるか
- AIが人間のような意識をもったら、「心」が生まれるのか
- そもそも人間の知能や心、理解とは何なのか
といった具合に、科学技術・人間社会・哲学などの様々な分野に発展していきます。
技術が進んでいけば新たなAIの問題が生じていくのかもしれません。