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思考実験「箱の中のカブトムシ」とは?具体例付きでわかりやすく解説

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「箱の中のカブトムシ」は、哲学者のルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインが、「痛み」について言及する際に用いた思考実験です。
感覚や感情などの、自らしか理解できない私的な体験について言語化することは不可能である、ということを示唆しています。

思考実験「箱の中のカブトムシ」は、「自意識を共有するため言葉とは無意味なものなのではないか」と考える哲学的な問いです。
この記事では、箱の中のカブトムシがどんな内容なのか、どんな意味を持つ思考実験なのかを紹介します。

箱の中のカブトムシとは?

箱の中のカブトムシは、哲学者ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインが言語について自分の考えを説明するために用いた、以下のような思考実験です。

思考実験「箱の中のカブトムシ」

あるグループの人々が、それぞれ1つカブトムシ」の入った箱を持っています。
ただし、この箱は自分の箱だけしか覗けず、他人の箱の中を覗き見ることは決してできません。

人々は自分の箱の中身を「カブトムシ」だと思っていますが、みな同じものが入っているとは限りません。
そのため、みんなの箱の中身が同じ「カブトムシ」かどうかは、誰にもわかりません。
お互いの箱の中身は、全く違うものが入っているかもしれませんし、他人の箱は空っぽという可能性さえあります。

全員が「カブトムシ」の入った箱を持っているため、「カブトムシ」という単語は全員が知っています。
しかし、箱の中身が確認できない以上、「カブトムシ」というが意味するものは、それぞれ異なっているかもしれないのです。

あなたが「カブトムシ」だと思っているものは他人の「カブトムシ」とは全く異なるかもしれません。
「自分のカブトムシ」は、自分にしか知り得ないものなのです。

同じように、自分の考えていることや感情を言葉で表しても、それらは本質的には自分にしか知り得ないものです。
相手に100%感情を伝えることはできず、自分の内面を言葉で表すことに意味はないのかもしれません。

箱の中のカブトムシを解説!言語は無意味?

この思考実験は哲学者ウィトゲンシュタインが、「痛み」の言語化についての考え方を説明する際に使用しました。
どのような意味のある思考実験なのか、具体的にみてみましょう。

「カブトムシ」は言葉で共有できない

例えば、「桜」と聞けば、みんな春に咲くピンクの花、「桜」のことを想像しますよね。
桜はバラ科で、ピンクで、春に花を咲かせる木で……と、桜という言葉が何を指すか理解できます。
「桜」は桜という名前に対して明確な対象があり、それを皆が共有しているからこそ、同じものを想像できます。

しかし、「箱の中のカブトムシ」の場合は異なります。
それぞれの箱の中身を共有できないため、「カブトムシ」という名前の対象が不明確です。
自分と他人の箱の中身が確認できない以上、「カブトムシ」と言われても同じものを想像できているかどうか判断できません。

突き詰めると、「桜」という単語でも、個人によってとらえ方は異なります。
「桜がきれいに咲いていたよ」と言われて、街路樹のソメイヨシノを想像する人もいれば、庭園の枝垂桜、花瓶の中の切り枝を想像する人もいるでしょう。

このように、自分しか認識していないものや、自分のイメージ、自分が感じていることを言葉で表そうとするその行為自体が無意味なのです。

「痛み」も他人は理解できない?

別の例で考えてみましょう。

例えば、痛みという感覚も、自分にしか知覚できないものです。
あなたが痛みを感じた時、同じような怪我や衝撃であったとしても、他の人にはあなたの痛みを同じようには知覚できません。

事故に遭った友達から、車にぶつかった瞬間・骨折した瞬間がどれだけ痛かったかを語られたとします。
その話を聞いたあなたはその痛みを想像することはできても、友人が感じた痛みを同じように感じることはできません。
仮に同じようにあなたが事故にあって同じケガをしても、友人と全く同じ痛みを感じるわけではないですよね。

こうした、「主観的な体験によって起こる個人の感覚のこと」をクオリアといいます。
クオリアに関して、以下の記事で詳しく説明しているので、興味のある方は併せてご覧ください。

痛みの感じ方など、個人が見たもの感じたもの、つまりクオリアは人それぞれ異なり、言語化しても正しく伝えることは不可能なのです。

ウィトゲンシュタインの私的言語論とは?

ウィトゲンシュタインは、自らの著作『哲学探究』の中で、「私的言語論」という哲学的主張をしています。
「箱の中のカブトムシ」はそれにつながっている思考実験です。

私的言語とは、感覚や感情など本人にしか理解できないものを表した言語を指します。

私的言語のカブトムシ

箱の中のカブトムシの例でいえば、箱の持ち主それぞれの「カブトムシ」は私的言語です。

それぞれの「カブトムシ」という私的言葉は、本人以外は誰にも知ることはできません。

しかし、「カブトムシ」という言葉そのものは、グループの全員が知っている言葉でもあります。

そのため、「カブトムシ」という言葉は会話の中では「箱の中のカブトムシ」という公的な言語になってしまい、本来の私的言語としての意味を持たなくなります

つまり、感情や感覚を伝える「私的言語」は、周囲に伝えると「公的言語」になる無意味な存在なのです。

こうした点から、ウィトゲンシュタインは私的言語論にて、「私的言語は本質的に習得不能で無意味である」と示しています。

まとめ

私的言語論には、現在でも様々な意見がでており、明確な答えは出ていません。

言葉で感情を語ることが、全く意味をなさないというと、極端にも思うかもしれません。
とはいえ、あくまで私たち人間は一人であり、互いの心を完全に理解することが難しいのは確かです。

このような自分の認識と他人の認識やクオリアに関する思考実験に、以下のようなものがあります。
興味のある方は、これらの思考実験でさらに考えを深めてみてください。