思考実験「哲学的ゾンビ」とは?感情だけがないゾンビ【わかりやすく解説!】

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「哲学的ゾンビ」は、「普通の人間と同じように振舞っていても、実は内面的な感情を持たない存在:哲学的ゾンビ」について考える思考実験です。
英国の哲学者であるデイヴィッド・チャーマーズが、物理主義的な考え方に反対して提唱しました。
アイデンティティーの在り方、クオリアについて考えることができます。

思考実験「哲学的ゾンビ」は、「一見ふつうの人間と同じに見えるけれど、実は内面的な感情を持たない存在」について考える思考実験です。
イギリスの哲学者、デイヴィッド・チャーマーズによって提唱されました。

哲学的ゾンビとは?

思考実験「哲学的ゾンビ」

ゾンビといっても、哲学的ゾンビは肉体が死んでいるわけではありません。
物質的には人間と全く同じで、見た目は何も変わらず、人間を襲ったりもしません。
哲学的ゾンビの大きな特徴は、クオリア(感覚質)が欠けているということです。

クオリアとは、自分にしか体験できない主観的な感覚のこと
楽しいと感じる意識や、寒いと思う自我など、そういった個人の主観的な意識をクオリアといいます。

また、クオリアが欠けているから哲学的ゾンビは無感情で冷酷、というわけではありません
哲学的ゾンビは、人間と同じように喜びも悲しみも表現しますし、人間と同じように感情に合わせて脳内物質が発生しています。
悲しいときに泣き、楽しいときに笑い、上手くいかないときは苛立ったりもします。

ただし、哲学的ゾンビにとってそれらのすべての感情や感覚は全て脳内活動の一環でしかないのです。
簡単に言うなら、哲学的ゾンビは機能としての感覚や感情はあるが、実感としての感覚や感情がない存在なのです。

さて、このような存在があり得るでしょうか?
もしいるとしたら、あなたは哲学的ゾンビを見抜くことができますか?



哲学的ゾンビを見抜けるのか?

哲学的ゾンビは見た目も振る舞いも人間と変わらないので、判別することができません。

そもそも、クオリアは「個人が感じる感覚や感情」のこと。
相手がクオリアを持つ存在かどうかは証明することができないのです。

存在しても誰も認知できないということは、誰も実証することができないのです。
誰も実証することができない思考実験なら、何のためにあるのか疑問に感じますよね。

では、この思考実験がなぜ提唱されたのか、詳しく見ていきましょう。

哲学的ゾンビ提唱の背景

哲学的ゾンビは元々、物理主義におけるクオリアや意識のとらえ方に反論するために作られた思考実験です。
1990年代、英国の哲学者であるデイヴィッド・チャーマーズが、クオリアについて説明するために用いました。

物理主義とは?
物理主義は、「あらゆるものは物理的に説明可能」とする、一元論の考え方のひとつです。
人間の心や感覚は、何かしらの物理的現象によって変動し、脳の活動として観測できます。
そのため、物理主義では人間の心、クオリアも石や机などと同じ「モノ」と考えるのです。

これに反対する立場が、「物理的に観測できるものとできないものが存在する」という、二元論の考え方のひとつです。

意識のハード・プロブレム

医学や科学で物理的に感情や感覚を解析しようとしても、観測できるのは脳の物理的現象だけです。
これでは、脳の物理的現象以外のものが存在するかどうかを観測することはできません。

そのため、人間の心や意識の本質的なものは、現代の物理学では解析できないのではないかという考え方が生じました。
これを「意識のハード・プロブレム」と言います。

この問題をわかりやすく伝え、クオリアの存在を考えやすくするために哲学的ゾンビは提唱されました。

物理主義の批判としての哲学的ゾンビ

先ほど、哲学的ゾンビは「機能としての感覚や感情はあるが、実感としての感覚や感情がない存在」と説明しました。

物理主義では、意識やクオリアなどの「心」は脳の物理的現象としてとらえます。
つまり、物理主義では「機能としての感覚や感情と心は同じ」なのです。

物理主義が正しければ、哲学的ゾンビは想像不可能であり、「ありえない存在」だといえます。

しかし、脳の物理的現象から、なぜ・どのようにして心が発生しているかは解明されていません。
そのため、哲学的ゾンビがなぜありえない存在なのかを物理主義では証明できないのです。

このことから、「哲学的ゾンビが想像可能であり、その存在を否定できないなら、物理主義は間違っている」という結論になるわけです。

この内容には、他の哲学者からも様々な意見がでており、デイヴィッド・チャーマーズの考えに反対する声も多くあります。

周囲の人が哲学的ゾンビになったら?

例えば、あなたの友人が哲学的ゾンビになったとします。

哲学的ゾンビになったその人は、クオリアが欠け、実感としての感覚や感情を無くしました。
しかし、クオリアがなくなっても、外見や行動に何も変化はありません。
友人はテレビを見て笑ったり、疲れて愚痴を言ったり、いつもと全く変わらない生活をするでしょう。

クオリアは本人が感じる感覚であり、他人がそれを判別することはできないのです。
あなたから見た友人は、クオリアを失う前と後で何も変わっていません。

しかし、「相手がクオリアを失った」という情報があるだけで、友人の存在に違和感を感じてしまう人もいるのではないでしょうか?

あなたは相手が哲学ゾンビだと知っても同じように接することができますか?

哲学的ゾンビになった友人が、「今までと明らかに違う存在だ」と感じた人は、「哲学的ゾンビ」を提唱したデイヴィッド・チャーマーズに近い考えの持ち主です。