「世界五分前仮説」をわかりやすく解説!誰も反論できない思考実験?
世界五分前仮説は、「もし人や物、歴史や記憶、世界の全てが五分前に神によって突然作られたものだったとしたら」という仮説を考える思考実験です。
現代ではアイデンティティを考える際に用いられることがありますが、もとは哲学者バートランド・ラッセルが「記憶と時間の関係性」を説明する際に用いました。
記事の目次
世界五分前仮説とは
世界は一体いつ、どうやってできたのだろう?
そんな風に考えたことがある人は、多いのではないでしょうか。
「世界五分前仮説」は、世界が五分前にできたとしたら…と仮定した思考実験です。
今までの自分のなにもかもが五分前に作られたものだったら…あなたはどう思いますか?
思考実験「世界五分前仮説」
世界五分前仮説とは、名前の通り「世界がたった5分前に始まった」という仮説を考える思考実験です。
すべての生き物や建物、これまでの記憶・歴史的な出来事の記録など、世界のありとあらゆるものが神によって5分前に作られたとします。
あなたの友達や家族も、5分前に「そういう人間関係」として5分前に作られたのです。
さらに細かく言えば、現在食事している人も「食事をしている状態」で5分前に作られました。
歴史ある建物や文化遺産も「そういう建築物」として5分前に作られています。
あくまでも仮説であり、実際に世界が5分前に作られたという根拠があるわけではありません。
世界が5分前に作られたなんであり得ない、と誰しもが思うでしょう。
しかし、「この世界は5分前に作られたものではない」と証明することはできますか?
世界五分前仮説は絶対に否定できない?
世界が5分前にできた、と言われても、突拍子もなくあり得ないと断言する人も多いでしょう。
しかし、よく考えると実はこの仮説を否定することはできないのです。
それでは、実際に反論を考えてみましょう。
5分以上前の記憶がある
よく挙がるのが、「私には5分以上前の記憶があるから、世界が5分前に始まったわけがない」という反論です。
「5分前に何をしていましたか?」と問われれば、誰でも答えることができます。
それよりも昔の、1時間前でも、3日前でも、1年前の記憶だってあることでしょう。
それらを証明する記憶の写真や思い出の品もあります。
しかし、「世界五分前仮説」でいえば、その記憶も写真も5分前に神によって作られたものです。
神が世界の歴史や人間の記憶などを創造したため、5分よりも前の記憶がある状態で誕生したのです。
つまり、5分前の記憶があるという意見では世界五分前仮説を論破できないのです。
タイマーで5分以上計る
「ちょうどタイマーで計っていたところで、そのタイマーが5分以上経過している」
これも、確実な証拠に思えます。
しかし、「世界五分前仮説」は世界のあらゆるものが5分前に作られたとする仮説です。
そのため、そのタイマーも5分以上経過した状態で、5分前に作られたものなのです。
タイマーに限らず、時計やデジタル機器、歴史的な遺物や道に落ちたごみも、5分前にそう設定されて作られたものになります。
つまり、物理的な方法でも世界五分前仮説を否定することはできないのです。
世界五分前仮説は証明もできない
今まで自分が積み上げてきたものすべてが5分前に作られたものだった、と考えるとぞっとしてしまいますよね。
しかし、世界五分前仮説を否定できないのと同じように、世界が五分前に作られたことも証明できません。
世界が五分前に作られたとして、その証拠になるものは何もないからです。
証明も否定もできないのであれば、世界五分前仮説は提唱されたのでしょうか?
ここからは、世界五分前仮説がなぜ提唱されたのかを見ていきます。
「世界五分前仮説」提唱の背景
この思考実験を提唱したラッセルは本当に「世界が5分前に始まった」という説を証明したかったわけではありません。
あくまで彼にとってこの思考実験は「記憶とは何なのか?」について語る論文で、自分の考えを分かりやすくするために用いた例え話でした。
ラッセルが話した世界五分前仮説
ラッセルは、過去と現在の記憶の在り方について説明する際、以下のように世界五分前仮説を出しました。
世界が五分前にそっくりそのままの形で、すべての非実在の過去を住民が「覚えていた」状態で突然出現した、という仮説に論理的不可能性はまったくない。
異なる時間に生じた出来事間には、いかなる論理的必然的な結びつきもない。
それゆえ、いま起こりつつあることや未来に起こるであろうことが、世界は五分前に始まったという仮説を反駁することはまったくできない。
したがって、過去の知識と呼ばれている出来事は過去とは論理的に独立である。そうした知識は、たとえ過去が存在しなかったとしても、理論的にはいまこうであるのと同じであるような現在の内容へと完全に分析可能なのである
ラッセル “The Analysis of Mind” (1971) pp-159-160: 竹尾 『心の分析』 (1993)より
要するに、ラッセルは世界五分前仮説から「異なる時間に生じた出来事間(過去と現在)には、論理的・必然的な結びつきはない」ということを主張したかったのです。
それでは、さらに詳しくラッセルの考えを見ていきましょう。
過去と現在はつながっていない?
当たり前のことですが「過去」は既に終わったことなので、「現在」には存在しません。
「過去を思い出す」という行為は過去に戻る事ではありませんし、過去そのものが現在に干渉することもありません。
あくまで「過去」とは頭の中の知識・記録でしかななく、「現在」や「未来」との論理的な結びつきはないといえます。
過去から結果は導き出せない
例えば、あなたが枕を変えたとします。
すると今朝、すっきりと目覚めることができました。
この場合、あなたは「枕が原因で、結果快眠できた」という因果関係を見出すでしょう。
しかし、因果関係は突き詰めて考えると、私たちが繰り返し得た経験から導き出されただけにすぎません。
あなたには、すっきり目覚めたという「現在」だけが手元にあり、枕を変えたという「過去」に原因があることを証明することはできません。
もしかしたら、寝るときの姿勢がよかったのかもしれないし、お風呂ゆっくり入ったことが一番効果的だったのかもしれません。
あるいは、これはただの偶然であり、枕を変えなくても快眠できていたのかもしれません。
少し極論気味ですが、突き詰めて考えると、今起きている事をどれだけ調べても、過去にある原因を完全に証明することはできないのです。
ラッセルは、このように「過去と現在を論理的な必然性だけで結びつかることはできない」ということを、「世界五分前仮説」で大げさに例えました。
まとめ
これまで「世界五分前仮説はラッセルが本気で提唱したのではなく、説明のためにたとえ話として使用した」と説明しましたが、この仮説はそのインパクトの強さから、たびたび議論されます。
世界五分前仮説を考察することで、過去の存在や価値観を疑う視点に立つことができます。
自分の記憶や、自分の気づいてきた人間関係が5分前に神によって作られたもの、と考えてみてください。
「過去がなくとも自分は自分だ」、と断定できる人もいれば、「とてつもない孤独感を感じる」という人もいるでしょう。
ラッセルの考えに基づいていえば、実際に世界が5分前に作られたとしても、現在の私たち、未来の私たちに何ら不都合はありません。
しかし、過去がすべて5分前に与えられたものだとすれば、自己が揺らぎ、アイデンティティを見失いそうになる感覚がありませんか?
自分が信じている物が本当に正しいのか、一風変わった思考に耽る楽しさを味わって見てはどうでしょうか。