}

プラトンのイデア論「洞窟の比喩」とは?図と具体例でわかりやすく解説!

Check point !

洞窟の比喩とは、古代ギリシアの哲学者プラトンが自らの著書『国家』の中で「イデア論」を説明するのに使った比喩、例え話です。
プラトンはこの比喩で、人間が知覚している世界の限界や、目に見えない世界の本質「イデア」やその理念に対する認識に関する考えを表しました。
この記事では、洞窟の比喩をわかりやすく解説していきます。

洞窟の比喩はどんな内容?

洞窟の比喩は、古代ギリシアの哲学者プラトンが自身の著作『国家』にて、「イデア論」を説明する際に使用した思考実験です。

人間が捉えることのできる世界は、世界のすべての形ではないことを指摘し、「より広い視点で世界を見ること」「真実の形により近づくよう努力すること」を哲学的な問いです。

洞窟の比喩とは

生まれた時から、洞窟に縛られて閉じ込められている囚人たちがいます。そこの囚人はみな、洞窟の壁のみ見つめて生きています。

彼らの背後には火が灯されていますが、囚人は縛られていて振り返ることができないので、その火の存在を知りません。
さらに、囚人のと火の間には塀があり、その塀の上で人形を動かすと、囚人たちが見ている壁に人形の影が映しだされます。

囚人たちには人形の影しか見えないため、囚人たちは影こそが世界の真実だと認識するようになります。

囚人たちは自分の背後にある火や塀の存在に気付かず、影が世界の全てだと思い込んだまま生きているのです

洞窟を出た囚人がみたもの

ある日、一人の囚人の拘束が解かれます。
自由になった囚人は後ろを振り返り、今まで自分が真実と信じて見ていたものが、火に照らされた人形の影だったことに気付きました。

さらに進んで洞窟を出ると、洞窟の中の火とは比べられないほど明るく世界を照らしている「太陽」の存在を知ります。

囚人は太陽のあまりのまぶしさに目をくらませてしまいますが、少しずつ目を馴らしていくことで、やっと太陽を認識できるようになりました。

そして、太陽こそが本当に全てのものを照らし、成り立たせている世界の真実だと知ります。

囚人は自分が知った真実を、洞窟の中の仲間にも伝えようとしますが、他の囚人は彼の話を信じようとしませんでした。

洞窟の中の囚人たちにとっては影こそが世界のすべてで、世界の真実など知ろうともしないからです。

イデアとは?

プラトンは、「イデア論」を解説するためにこの洞窟の比喩を用いました。

イデア論とは、「絶対的な真理の世界に本当の真理である「イデア」存在し、私たちが普段体験している物事はイデアを鏡映しにした偽物の世界の真理である」という考え方です。

簡単に言うと、イデアは、知覚を超越した場所にある「物事の本来あるべき姿」「永遠の真理を指す言葉です。

イデア論に当てはめると?

プラトンは洞窟の比喩で、善のイデア、つまり「善そのもの」を目指すことが重要であると説きました。
洞窟の比喩をイデア論に当てはめると、以下のようになります。

  • 洞窟の囚人:主観的な人間たち
  • 影:わたしたち人間が見ている、主観的な限られた世界

洞窟の壁にうつるは、物欲や権力欲にまみれた主観的な世界を表しています。

限られた世界(影)のみを見て生きている「洞窟の囚人」たちは、自らの限られた世界を疑わず、正しい世界の存在を知ろうともしりません。

人間は、自分が信じている世界がすべてだと考えてしまいます。
プラトンは、そのような人間の様子を「洞窟の囚人」に例えました。

プラトンは、この比喩で人間は即物的な快楽にのみ価値を見出し、それこそが世界の全てだと認識してしまうことを表したのです。

善のイデアと洞窟の比喩

洞窟の比喩は、一人の囚人が外に出て、本当の世界を目にします。

その時の様子をイデア論に当てはめると、以下のようになります。

  • 自由になった囚人:善のイデアに近こうとする人間
  • 火:目に見える範囲の世界の真理
  • 太陽:善のイデアそのもの。すぐに理解することはできない

自由になった囚人は、まずは背後の火の存在に気が付き、自らの世界が限定的なものであったことを知ります。

さらに、外に出て太陽の存在を知っても、その存在はまぶしすぎて、すぐには理解することはできません。
善のイデア(太陽)」は簡単には理解できず、少しずつその存在に近づくことができるのです。

自由になって世界を見渡せるようになった囚人でも、段階を追っていかないと太陽のある外の世界には近づけません。
洞窟の中にいる囚人にいきなり太陽の存在を伝えても、想像することすらできないでしょう。

プラトンは、自らの知覚している世界の限界に気が付くことは容易ではないことを説いたのだと考えられています。

現代の「洞窟の比喩」

このように、プラトンは人間の見ている世界が限られた世界であること世界はすぐには理解することができないことを洞窟の比喩で表しました。

イデアなどと聞くと難しく感じますが、現代の情報社会の問題に置き換えて考えることも可能です。

例えば、現代ではSNSなどインターネットで偏った情報ばかり見て、それが世の中のすべてだと思ってしまう人もいます。
新聞やテレビなども、いつも同じものばかり見ていると、いつの間にか視野が狭くなっていき、価値観が狭まってしまいます。

与えられるもの、見えているものが全てだと思っていると、「洞窟の囚人」たちのように、物事の本質というものを見失ってしまうのです。

様々な情報が飛び交っている現代では、自分で情報を選び取ることが困難ですが、与えられる情報だけでは、「洞窟の囚人」になってしまいます。

何事も、「自分が何も知らないことを知ること」から始まります。
自分が「自由になった囚人」になれるか、それとも「洞窟の囚人」になるのか、ふとした瞬間に大切なことに気付けるかもしれません。