「スワンプマン」をわかりやすく解説!アイデンティティの思考実験【哲学】
もし自分の死後、自分と全く同じ記憶や体を持つ存在・スワンプマンが生まれたら、それは自分と別人なのか、他人なのか、という「アイデンティティ」に関する思考実験です。
1987年にアメリカの哲学者ドナルド・デイヴィッドソンによって提唱されました。
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記事の目次
スワンプマンはどんな思考実験?
「自分」のことは、経験や能力、環境、人間関係など、さまざまな事柄で語ることができます。
しかし、もし自分と全く同じ存在が現れたら、あなたは何をもってして「自分」だと認識すれば良いのでしょう?
スワンプマンは、そういった「自分自身(アイデンティティ)」について考える思考実験です。
この思考実験は、1987年にアメリカの哲学者ドナルド・デイヴィッドソンによって提唱されました。
思考実験「スワンプマン」
ある男がハイキングに出かけたら、沼の傍で雷に打たれて死んでしまいました。
その時、雷が化学反応を起こし、沼の泥から死んだ男と全く同じ見た目で、同じ記憶をもつ存在が生まれます。
この存在を、仮にスワンプマン(泥男)と呼びましょう。
スワンプマンは脳や心の状態も死んだ男と変わらないので、記憶や知識、感性も全く同じです。
趣味嗜好や癖、体質まで、スワンプマンと死んだ男と違うところは何一つありません。
スワンプマンは死んだ男と同じ自我と記憶を持っているため、「自分は雷にあたったが奇跡的に生きていた」と認識しています。
さて、この場合スワンプマンは死んだ男と同一人物と言えるのでしょうか?
死んだ男とスワンプマンが入れ替わって生活していても、周囲にもバレませんし、スワンプマンすらも自分が泥から生まれたことに気が付いてません。
スワンプマと死んだ男が別の人間だというのなら、何がどう違うのか、あなたは説明できますか?
もちろん現実で雷によってスワンプマンが生まれることなどありませんが、ここではあくまで想像上の話として考えてみてください。
アイデンティティの思考実験:自分がスワンプマンなら
もし、これが自分自身の話だったとしたらどうでしょうか。
自分が死んだあと、自分のスワンプマンが生活していたら。
反対に、あなた自身が誰かのスワンプマンだったとしたら。
「自分は自分である」という変わることのない自己認識を、「アイデンティティ」といいます。
この思考実験は、自分と他人を分けているものは何なのかを考える思考実験です。
回答者のアイデンティティや他者との区別の在り方によって、考えと答えが分かれてきます。
では、それぞれの回答に違いがあるのかどうか、考えてみましょう。
スワンプマンの答えを種類別に解説
この思考実験では、スワンプマンと死んだ男が同一かどうかが問われています。
様々な考え方がありますが、主に以下の三つの観点からスワンプマンと死んだ男が違うかどうかが考えられることが多いです。
- 肉体の構造などの物質の違い
- 心や意識の違い
- 時間の流れの違い
それでは、一つずつ順番に考えていきます。
物質の違いで考える
死んだ男とスワンプマンは、物質として原子レベルで全く同じであり、脳や記憶、自我すらも同じです。
さらに誰が見ても元の男だと認識し、スワンプマン自身ですら自分をその男と認識しています。
つまり、スワンプマンと死んだ男は全く同じ物であり、すべての構造に何一つ違うところはありません。
物質的に考えるなら、スワンプマンは死んだ男と同じ物質なので同一人物といえます。
心や意識の違いで考える
雷に打たれ死んだ男の視点では、彼は「死んだ」という認識があり、そこで命を終えました。
スワンプマンが入れ替わって生活していても、そこに死んだ男の意識や感覚があるわけではありません。
一方スワンプマンは、雷に当たった記憶はあっても「死ぬところだった」という認識しかありません。
スワンプマンは、男が雷に打たれるまでのすべての記憶や感覚がありますが、死んだという認識はなく、その後の生活はスワンプマンしか知り得ないものです。
つまり、男とスワンプマンには「死んだという認識」と「その後の意識や感覚」の有無に差があります。
心や意識の面で考えるなら、スワンプマンと死んだ男は異なった認識を持つため同一人物ではないといえます。
時間の流れの違いで考える
この視点から考える場合、スワンプマンと死んだ男の存在の流れが過去と今とで繋がっているかどうかで判断します。
ある物事の同一性を示すには、全体の歴史の「流れ」が連続していることが重要、という考え方は歴史主義と呼ばれています。
思考実験「スワンプマン」を提唱したドナルド・デイヴィットソン自身も、歴史主義の立場からこの問題を考えています。
スワンプマンと死んだ男は、沼の中と落雷のあった沼の外で分かれて存在しています。
つまり、どれだけまったく同じ構造をしていても存在が分かれている別物です。
さらに、男は死んだことで、男の歴史・人生の時間は断絶しました。
対してスワンプマンは、男が死んだ瞬間に新しく生まれ、男が死んだ瞬間に人生が新しく始まります。
沼の外で死んだ男と、沼の中から発生したスワンプマンとは存在の時系列が繋がっていないので、時間的にも別物と考えられます。
そのため、時間の連続性で考えると、死んだ男とスワンプマンは存在の歴史がつながっていないので同一人物でなはいといえます。
「スワンプマン」を考えられる作品
スワンプマンのように、「自分自身と同じ存在が現れたら」という視点で見たアイデンティティを題材にした小説や漫画、映画はたくさんあります。
ここでは、3つの作品を取り上げていきます。
亜人
『亜人』講談社 作:桜井画門 (2012年) 全17巻
『亜人』は、アニメ化、実写化もされた大人気作品です。
肉体が傷ついてもすぐに回復し生き返る、不死身の新人類「亜人」となった主人公の戦いを描いています。
亜人の体は、一部が欠損しても新しく再生される、不死身の肉体です。
何をしても死ぬことはありませんが、作中で亜人たちの「死」として考えられているのが、「頭部の欠損(断頭)」です。
頭が無くなって、新しく再生される際、脳が覚えている記憶や感覚も、同じものが作られます。
作中では、「新しくできた頭は、脳は、心は」頭部を失う前の自分と同じといえるのか。という問いが投げかけられました。
記憶も心も自分と全く同じ人間がいたら、「今、ここで自分を認識している自分自身」は死んでもいい、と思えるでしょうか?
多くの人は、「今、自分が認識している自分自身」を失うことを嫌がるでしょう。
その観点から、「亜人の死の定義=頭を失うこと」と作中では捉えられていいます。
スタートレック
『スタートレック』ジーン・ロッデンベリー他(1966年~)
『スタートレック』は、1966年からTVドラマとしてスタートし、現在でも根強い人気を誇るSFドラマの傑作です。
本編は、宇宙の未知の生命体や文化などと遭遇するSF冒険譚で、スワンプマンなどアイデンティティを命題にした作品ではありません。
作中で、スワンプマンと似た問題を抱えているのが「転送装置」です。
『スタートレック』では、遠方の目的地まで、転送ビームを利用した転送装置で移動することがあります。
その仕組みは、転送させたい人間や物資を量子レベルに分解し、目的地で量子を再構築するというもの。
転送装置は100%安全というわけではなく、場合によっては危険なトラブルがおこることがあり、転送装置を嫌っている人もいます。
宇宙船の船医であるドクターマッコイは、この転送装置を嫌っている人物の一人です。
マッコイは、「転送によって再構築された人間は、転送前の人間を再現したコピーでしかない。」という考えを持っています。
転送装置では、転送時に一度量子レベルでバラバラに分解されます。
転送された人間は、転送前の状態を完全に再現したものですが、転送前と転送後で全く同じか存在かと言われると、確かに疑問を抱いてしまいますよね。
まさしく、スワンプマンと同じような問題です。
スタートレックは様々なシリーズがあり、prime videoではリブート版や新シリーズなども見ることができます。
まとめ
自分自身をどうとらえるかという視点によって、スワンプマンの結論とその根拠も異なってきます。
上記の答えの例に、あなたの考えに近いものはあったでしょうか?
これまでの回答例はあくまで参考ですので、自分の考えがどこに近いのか、あるいは離れているのかを知ると、ますます深い考察ができるようになります。
アイデンティティに関係する思考実験は、ほかにも以下のようなものもあります。
また、スワンプマンのようなアイデンティティの考え方は、漫画やゲームでもよく題材に挙げられていています。
こうした考えを深めたい方は、ぜひ読んでみてください。